SSブログ
術後経過 ブログトップ

赤い発疹が出現 [術後経過]

これは、血管造影剤検査をやった後のことです。
妙に足が痒いと思っていたのですが、検査後はギブスのようなものを着けている為、自力で起き上がるのが困難で、確認しようもありませんでした。
何とかかけないかと手を伸ばしたりもしたのですが、これがなかなか難しく、布団に足を擦り付けて何とかやり過ごしていました。
ギブスを外した後は、自分の足指でかいてみたりしながら、何でこんなに足が痒いのだろうと思っていました。
家族が面会に来た時に「何か、足が痒いんだよ」と言うと、母が確認の為に着圧靴下を下ろしてビックリ!
膝から下が赤い発疹で埋め尽くされて真っ赤になっていました。
すぐに看護師さんを呼んで足を見せました。すると、看護師さんもすぐに先生を呼んで、先生もビックリ!
先生は、すぐに皮膚科の先生を呼びました。
造影剤検査をやった後だったので、母はすぐに副作用を疑いましたが、皮膚科の先生は着圧靴下にアレルギー反応を示した可能性が高いと判断したようです。

body-woman-3.png
赤い発疹が出ていたか所をピンク色で示してみました。
一番酷かったのが、着圧靴下をはいていた膝からしたの部分です。ひざ下に比べれば少ないですが大腿と腰にも出ていました。
因みに、腰は縫った跡があり、ICUにいる間ずっとテープを貼っていたので、そのテープでかぶれたものと思われます。メチャメチャ痒かったのですが、先生のOKが出るまでは剥がせないと看護師さんに言われ、ずっと我慢していましたが、この発疹騒動が起きた時には剥がれてベッドに落ちていたので、無意識にかいて取れちゃったみたいです。

その日から退院まで、抗アレルギー薬が追加され、塗り薬も処方されました。
着圧靴下は履かなくて良いことになりました。
SCUにいる間は、看護師さんが発疹部分全てに薬を塗ってくれましたが、個室に移ってからは見えない腰だけ塗って貰い、その他は自分で塗るようにしました。
退院までにはすっかりよくなりましたが、抗アレルギー薬は退院当日まで処方されました。
こうして、発疹騒動は終了しました。

私は喘息があるので、発疹が出た時には結構慌ただしくなりました。
喘息がある方は造影剤の副作用が出やすいそうなので、検査後に少しでもおかしいと感じたら、早めに申告することをお勧めします。



人気ブログランキングに参加しています。

脳卒中・脳梗塞ランキング

にほんブログ村ランキングに参加しています。
にほんブログ村 病気ブログ くも膜下出血へ
にほんブログ村

共通テーマ:健康

SCUに移動してから変わったこと [術後経過]

ICUにいる間は、検査以外でベッドから降りることはありませんでしたが、SCUに移ってからは検査以外でもベッドから降りる用事が出来ました。
それは、トイレです。
toilet_kurumaisu.png今までは、尿道カテーテルが入れられていたので、尿は勝手に排出されていましたが、これからはそうは行きません。尿意を催したら、トイレに行かなければならないのです。しかも、この病室にはトイレがないので、外のトイレに行かなければなりません。
手術以来、まだベッドから降りたことがない私は、かなりの不安を抱えていました。
果たして、行けるのか…。
その時は、面会時間の間にやって来ました。
この日は母と弟が面会に来ていたのですが、その面会の途中でトイレに行きたくなりました。

看護師さんを呼んで、その旨を伝えると、看護師さんは車椅子を持ってきてくれました。
いざ、車椅子に移動です。
しかし、ベッドに捕まって立ち上がった私の足は、まるで生まれたての小鹿のようにブルブルと震えていました。用意された靴を履こうにも、足が震えて上手く履けません。
それを見ていた母と弟が爆笑していました。
あまりの震えっぷりに、私も可笑しくなってなってしまい、笑い出したら更に履けません。とりあえず、車椅子に座ってから靴を履くことにしました。
座ったまま前屈姿勢をとる形になりますが、これが結構辛いんです。ギブスとか長い間着けていると腕や足が動かなくなるのと同じで、殆ど寝ている状態でいると前屈姿勢はなかなかにキツイです。
何とか靴を履いてトイレまで連れて行って貰いました。
すると、看護師さんは「ちょっと、お待ち下さい」と言って、何やら便器と便座の間に挟みました。
それは、プラスチック製の丁度便器に収まる計量カップのようなものでした。
尿量を測った後は、便器に尿を流して水を流します。
これを、トイレに行く度に行います。
患者側の私としては、ちょっと嫌な作業だな…と思いましたが、毎回やるということは必要だからなので、仕方ないですね。

SCUに来て、2~3日後のことだったと思います。先生から洗髪の許可が出たということで、看護師さんが頭を洗ってくれることになりました。
自分では見ていないので、傷口がどうなっているのかはわかりませんでしたが、不安より喜びが勝りました。1週間以上頭を洗っていないので、髪の毛は既にねっとりとしています。このねっとり感からそろそろ脱したいと思っていたところでした。
hairwash-patient-lying-bed-nurce.pngどうやって洗うんだろう…と思っていたのですが、何やら水遊びでもするのか…というような道具を一式持って来ました。手押しで空気を送り込むポンプで何かを膨らまし始め、出来上がった物をベッドに置きました。
何が出来上がったかというと、子供用プールの小っちゃい版。頭が入るくらいの大きさの物で、排水口があり、汚れた水はその排水口からタンクに移すという代物です。
何と、便利なものが…。後の掃除のことを考えると無茶苦茶面倒そうですが、さっぱりしたい私には願ってもない代物です。
私は、ベッドに横になったまま、頭を洗って貰いました。
その気持ち良さったらありません。このまま寝ちゃいそう…て感じでした。
洗った後は、ドライヤーでしっかり乾かして貰い、久々のサラサラヘアです。看護師さんも「凄いサラサラ」って言ってくれました。
痛みとの戦いの中で、嬉しいひと時でした。
shampoo.pngその後は、この病室にいる間に一度洗髪して貰いました。その時には、起き上がるのもだいぶ楽になっていたので、ベッドではなく、トイレの横にある洗面台で下を向いて洗って貰いました。
この姿勢でいると、結構辛くて「早く終われ、早く終われ」と念じていました。
最初の洗髪とは打って変わって、気持ち良さは全く感じられませんでした。
頭が圧迫されるようで、呼吸も苦しくなって、もう一度、この状態で洗うと言われたら断っていたかもしれません。
それ程、苦痛な時間でした。
この下を見ると辛いという現象は、時間が経つにつれ程度は軽減してきたものの、退院する少し前までずっと続いていました。


以前にも書きましたが、SCUに移ってからは食事が選べるようになりました。
朝・昼・夕共にAとBのどちらかから選べます。
朝に翌日の3食をそれぞれどちらにするか選んだ紙を提出すると、次の日は希望通りの食事が出て来ます。土日にはその紙が配られないので、日月は選択できませんでした。
好きな物を選択出来るこの制度のせいか、ICUではあれだけ食べられなかった食事が、結構早い段階で半分まで食べられるようになりました。
口を開けると激痛が走るのと、顎を動かしていると、どうしても気持ち悪くなってしまうので、半分食べるのがやっとでしたが、液体ばかりだった頃から比べると凄い進歩だと思います。


あと、検査への移動手段がベッドから車椅子に変わりました。
bed-kurumaisu.png
頭痛で起き上がれない時は、以前のようにベッドで移動しましたが、殆どが車椅子での移動に変わりました。検査と言っても、CTとMRIですけどね。



それ以外のものは病室で行いました。病室で行ったのは以下の通りです。

patient-use-multiple-infusion-pump-syringe-pump.png点滴の針は常に付いていましたが、ポンプの本数が減りました。確か、2個だったような気がしますが、よく覚えていません。
でも、輸液の種類が減ったようです。






medical_shindenzu_kensa.pngmedical_saturation_monitor.png心電図とパルスオキシメーターは、検査や移動する時以外はずっと付けていました。







nurse-measuring.pngthermometer-girl.png血圧測定と検温は、1日に2~3度、測りに来ていたと思います。
ICUにいた間は、心電図もパルスオキシメーターも血圧も常に測定されていたので、検温のみ測りに来ていましたが、SCUでは血圧と検温は一緒に測りに来ていました。


blood-draw.pngX-ray-systems-movement-type.png採血・レントゲンは、時々測りに来ていました。
採血は、この病室にいる間は1回だけだったような気がします。
胸部レントゲンは、放射線技師の方が来るんでしょうか。この病室にいる間に2回は撮影に来てたと思います。


genital-cleaning.pngdiaper-changing.pngお風呂にはまだ入れなかったので、1日1回体を拭いて着替えていました。
最初のうちは、寝たままで看護師さんが体を拭いてくれていました。その際に、陰部の洗浄をして、おむつを替えてくれます。いつも、2人で来ていました。

途中からは自分で拭けるようになったので、タオルと着替えだけ頼んでおいて、あとは自分で済ませるようになりました。
トイレは計量もあるので、相変わらず連れて行って貰っていましたが、この辺りから、頭痛以外ではあまり手のかからない患者になっていったと思います。

頭痛との戦いは相変わらずでしたが、SCUに移動した8月27日から8月31日までには、出来ることが少しずつ増えていきました。


人気ブログランキングに参加しています。

脳卒中・脳梗塞ランキング

にほんブログ村ランキングに参加しています。
にほんブログ村 病気ブログ くも膜下出血へ
にほんブログ村

共通テーマ:健康

SCUへの移動 8/27 [術後経過]

8/27(火)の午前11時頃、ICUからSCUへと移動することになりました。
時間になると先生がやってきて、脳槽ドレーンの確認を始めました。
私は全く見ることができませんでしたが、先生曰く「綺麗になった」そうです。後に母に尋ねたところ、最初はピンク色だった液体が徐々に茶色に変色していったと言っていました。
先生は、「大丈夫そうだから、外します」と言って、ドレーンを外しにかかりました。私はちょっと身構えましたが、特に痛みはありませんでした。
ドレーンを外した後は、当然、穴が開きます。先生は、その穴を残しておいた頭皮で蓋をすると、ガーゼで覆ってテープで止めました。
私が塞いだ穴の部分を確認出来たのは個室に入ってからですが、そのお話は後程したいと思います。
ドレーンが外されると、今度は看護師さんが尿道カテーテルを外しました。
まだ、ベッドから降りたこともないのに大丈夫かと不安になりましたが、膀胱も長く使わないと良くないということで外すことになりました。

脳槽ドレーンと尿道カテーテルが外し終わると、先生とはここでお別れ。
いよいよ移動です。
ICUとSCUのベッドは違うらしく、看護師さんが別のベッドを持って来ました。
例の如く、横になったまま、数人の看護師さんの手で載せられましたが、驚いたのはICUで使っていたベッドよりも、ずっと狭かったことです。こんなに狭くて身動き取れるのかと心配になりましたが、要は「慣れ」で何とかなるものです。徐々に回復もしていきますしね。
乗せ換えが終わると、そのまま運ばれる訳ですが、横になっていると何処をどう通ったのかはさっぱりわかりません。エレベーターに乗ったということだけはわかりましたが…。

運ばれた部屋は、カーテンで仕切るタイプの6人部屋で、看護師さんが常駐していました。
私は奥の窓際で、看護師さんがいるスペースの隣に配置されました。
この部屋に入ってまず感じたのが、音の煩さです。
ICUにいた時は、聞こえるのは換気の音と機材の音のみで静寂という感じでしたが、SCUは何というか、いろんな音が頭に響いて、それが酷く不快に感じました。何故、こんなに音が頭に響くのか。思わず手で耳を覆ったくらいでした。
そうこうしているうちに昼食の時間になりました。
お粥から普通の食事に変わった初めてのメニューはカレーでした。
カレーなら食べられるだろうと思っていたのですが、一口食べた途端に気持ち悪くなってしまい、その日の昼食は食べられませんでした。「いきなりカレーは、キツイか…」と言いながら看護師さんが下げてくれましたが、その後も暫く気持ち悪さは続きました。

T病院では、午後3時~7時までが面会時間で、3時になると面会者がぞろぞろと病室に入って来ます。
すると、喧噪が一気に増して、頭に響く音が倍増。頭痛もしてきて、更に頭を抱えるようになりました。
暫くすると、母と弟が面会にやってきました。
私は音が響いて頭がズキズキすることや、個室を希望したのに何故か6人部屋に運ばれたことを言いましたが、後で確認したところ、個室に移動出来るのは1週間後で、それまではこの病室からは出られないということでした。
この時、術後1週間目です。
私は知らされていませんでしたが、術後2週間は「何があってもおかしくない」ということで、看護師さんが常駐するこの病室からは出られないということだったようです。

SCUに来て、変わったことがもう一つ。喘息です。
ICUにいる間は吸入器を使っていなかったのですが、咳は殆ど出ませんでした。しかし、SCUに移った途端、咳が少しずつ出始めて、母と弟が面会に来た時には結構咳き込むようになっていました。まだ、発作という程ではなかった為、その日のうちに自宅へ吸入器を取りに行って貰い、喘息には吸入器で対応することになりました。
吸入器を使い始めると、咳は徐々に収まっていきました。

音が頭に響くという感覚は、2~3日で収まりました。おそらく慣れたんだと思います。でも、それだけICUが静かだったということですね。
この日の夕食は半分も食べられませんでしたが、お粥よりは食べやすかったと思います。
漸く初日が終わったと思いきや、その後、私は大変な騒音に悩まされることになるのです。


人気ブログランキングに参加しています。

脳卒中・脳梗塞ランキング

にほんブログ村ランキングに参加しています。
にほんブログ村 病気ブログ くも膜下出血へ
にほんブログ村

共通テーマ:健康

術後、いろいろな医療器具に繋がっていた私 [術後経過]

手術後、点滴の針が4か所も刺さっていたことや脳槽ドレーンのことを話してきましたが、他にもいろいろな医療器具が取り付けられていました。
今日は、その医療器具についてお話したいと思います。
画像は全てフリー素材を使用しています。

◆気管内チューブ
endotracheal-intubation-tube.png
術後、目覚めた時には既に入っていました。私が使用していたのは、鼻から気管に入れるタイプのものです。
呼吸を助ける為のものらしいですが、実のところ、これ…結構苦しいです。
2~3日程で鼻腔カニューレに替わりました。


◆鼻腔カニューレ
nasal-cannula-oxygen-administration-patient.png
気管内チューブを取った後に使いましたが、これは鼻に入っているのは1cm程なので、とても楽でした。
ICUを出る時に外しました。


◆酸素マスク
oxygen-mask.png
こちらは、造影剤を使った検査の時に、呼吸が苦しくなって使用しました。
あとは手術の時かな。すぐに意識がなくなっちゃったので、同じ物かどうかはわかりませんけど…。


◆心電図
medical_shindenzu_kensa.png
術後、2週間くらい着けていました。
何か所か着けているので、動けるようになってくると結構邪魔です。トイレと検査が入った時に外して、戻ると着け直していました。


◆パルスオキシメーター
medical_saturation_monitor.png
指先に着けて、血中酸素飽和度と脈拍数を測る医療器具です。
これも2週間くらい着けていました。
以前、喘息が悪化した時に血中酸素が足りないと言われ、自宅で毎日測定していたので、簡易版が自宅にあります。


◆点滴
patient-use-multiple-infusion-pump-syringe-pump.png
点滴は個室に移ってからも使用していたので、2週間以上使用していたことになります。よく、点滴棒を携えて歩いている人とか見ますが、私が使用していたものにはポンプが付いていました。初めの頃はいくつもの輸液が下がっていて、左腿と左腕から入れていました。
右腿と右手首にも針は刺さってたんですが、やっぱり検査用だったのかな?


◆脳槽ドレーン
ventricular-drainage.png
自分では見ることが出来なかった髄液を排出する医療器具です。
最初はピンク色だった髄液が徐々に茶色に変わっていったそうです。リクライニングの位置を変えると、看護師さんがいつも調整していました。ICUを出る時に外しました。
画像はこれでいいのかわかりませけど、「こんな感じ?」という意味で載せておきます。


だいたい、このくらいでしょうか。
ICUにいる間のことは、特に記憶が曖昧になっているので、忘れているものもあるかもしれません。でも、気管内チューブが苦しかったのはよく覚えています。早く取って欲しいと何度思ったことか…。
私の目線は、あくまで患者目線でしかありませんので参考にはならないかもしれませんが、とにかく気管内チューブは苦しいんですよ!


人気ブログランキングに参加しています。

脳卒中・脳梗塞ランキング

にほんブログ村ランキングに参加しています。
にほんブログ村 病気ブログ くも膜下出血へ
にほんブログ村

共通テーマ:健康

術後経過 ICUにて 2 8/21~8/26 [術後経過]

今回は、前回の「術後経過ICUにて1」で書き切れなかったことを書いておきたいと思います。

ICUにいる間、同じICU内にいる患者さんとの接触は全くありませんでした。
移動の際はカーテンが引かれ、他の患者さんは見えないようになっていました。
手術後、私は最初に入っていた個室の隣の個室に移動したのですが、初日に入っていた個室には別の人が入っていました。男の人でした。見えないのに何でわかったかというと、「痛いよ、痛いよ」という大きな叫び声が、隣の私の部屋まで聞こえてきたからです。
その叫び声は、毎日、毎日、聞こえてきました。私より、大変なことになっている人がいると思っていましたが、ふと気づいたらその声は聞こえなくなっていました。
その男性がどうなったのかは知りません。ただ、後で母に確認すると「あんたが入った翌日に入ってきて、あんたより先にいなくなったよ」と言いました。
男性がどうなったのかは知る由もありませんが、回復して出て行ったと思いたいです。

そして、その男性とは対照的に、声もろくに出なかった私が1週間何をしていたかというと、食事をする・薬を飲む・寝る・一生懸命寝返りを打つ努力をするの4点でした。
とにかく、それくらい自分では何も出来ないです。自分では何も出来ませんが、検査というのは否応なくやってきます。
簡単なところでは、体温・血圧・後遺症の検査。
これは看護師さんが1日3回くらい行いに来ます。
次に胸部レントゲン。
これは撮りに行くのではなく、移動式の撮影機材で撮りに来ます。それが先生なのか看護師さんなのかはわかりません。訊かなかったので…。
ベッドと背中の間に鉄板?とにかく硬い板のようなものを挟んで、胸に映写機を載せて、息を吸って、止めて、パシャッ。これで終わりです。ICUにいる間は、毎日のように撮りに来ていました。
それから、CTとMRI。
これは交互にやってきます。CTはすぐに終わるのですが、MRIの時には時間がかかります。造影剤を入れたり、カテーテルを入れたりする為です。
それらがいつだったかというのは、実のところよく覚えていません。ただ、「今日はCTの検査ですよ」とか「今日はMRIの検査があります」と言われ、ベッドごと移動するので、何度か検査があったということは覚えています。
そして、MRI検査の後は右足をギブスで固定されます。取って貰えるのは翌朝なので、寝返りを打つのが更に困難になります。体が痛くなって、何とかこの痛みを解消しようともがきます。看護師さんを呼べばいいと思うかもしれませんが、看護師さんは忙しいのです。数分前に呼んだばかりなのに、寝返りごときでまた呼ぶことなど出来ません。何とか態勢を変えようと必死にもがいたのを覚えています。
この「動けない」という状態が、地味にツライです。

忘れていたのが、着圧靴下。術後、ギブスを取った後、膝まである着圧靴下をはかされました。指先だけが出るタイプのもので、肌色のストッキングのような生地だったと思います。
毎日、着替えの時に看護師さんが体を拭いてくれるのですが、その時以外は履かされていました。
殆ど寝ている状態でも、足がむくむ場合があるから?なのでしょうかね。
その着替えの時に、看護師さんには、よく腰をさすって貰ったのも覚えています。

body-woman-2.png先生には、手術の時に腰にも管を入れたとだけ聞いたのですが、その腰には3か所切開した後がありました。2か所は小さな穴で傷はそのままでしたが、1か所は3針程縫ってあって、ぷっくり盛り上がっていました。そこにシップ大の大きさのテープがビッチリと貼られていたので、かぶれて痒くなってしまったのです。でも、勝手には取れないからと、よく看護師さんが腰をさすってくれました。
「痒い所をかけない」という状況も、結構キツイんですよ。


あと、私は最初からおむつをしていたと自分では思っていたのですが、ICUにいた間、T字帯をしていたことが判明しました。
この間、箪笥の整理をしていたら出てきたんです。母に訊いたところ、看護師さんに持って帰るように言われたそうです。
全然気付かなかった…。動けない人間の世話をするのは、やっぱり、アレが楽なんですね…。

ICUにいた最終日、8/26には理学療法士の先生が私の状態を確認しに来ました。
先生は、「体を起こして、ベッドから足を下ろして座る」という動作を私にさせました。
足を床に着ける訳ではありません。ベッドから降ろし、ブラーンとさせるだけです。
それを見た先生は「結構、しっかりしてる。これなら、回復も早いかも…」と言いました。
私自身も、結構しゃっきり座れたと思いましたし、久々に座った状態がとても気持ちいいと感じました。
そして、この日、「明日、SCUという脳外科専門の病室に移動になります」と言われました。


人気ブログランキングに参加しています。

脳卒中・脳梗塞ランキング

にほんブログ村ランキングに参加しています。
にほんブログ村 病気ブログ くも膜下出血へ
にほんブログ村

共通テーマ:健康

術後経過 ICUにて 1 8/21~8/26 [術後経過]

前回、ICUについてお話しましたが、今回はそのICUにいた8/20~8/26までの術後経過を書きたいと思います。

初めて目覚めた時のことは、細かくは覚えていないのですが、とにかく体が動かないと思ったのをよく覚えています。あと、顔面に違和感を感じたこと。その時は、痛みというより違和感でした。
体を動かせないながらも、回りを見回して状況を確認していると、看護師さんがすぐにやってきて、後遺症の確認を始めました。
両腕を上げて両掌を握ったり開いたり出来るかの確認・目を閉じたままで片手が下がらないかの確認・看護師さんの手をぎゅっと握れるかの確認・足があげられるかの確認等です。
幸いにも、手足の後遺症はありませんでした。
あとは体温や血圧を測りましたが、こちらも問題はなかったようで、「もうすぐ朝食です」と言って部屋を出て行きました。

暫くすると、本当に朝食が運ばれてきました。
看護師さんがベッドを起こしてくれたのですが、ベッドから背中を離すのが意外と大変で、看護師さんに手伝って貰いました。
この時、右足首から太腿まではギブスのような物(MRIの後に使ったのと同じ物)で固定されていたので、余計に動き難かったんだと思います。
この時の朝食の主菜は覚えていないのですが、副菜がカリフラワーでお粥と味噌汁と牛乳だったことははっきりと覚えています。
何故、主菜ではなく副菜を覚えているかというと、一番最初に口にしたのがカリフラワーだったからです。そして、愕然としました。
口が開かない…。
無理に開けようとすると激痛が走りました。
多少の痛みは我慢して口を開けてみましたが、指先1本分くらい開けるのがやっと。カリフラワーは口に入りませんでした。何とか食べようと前歯でかじってみましたが、本当にちょびっとだけ。しかも、口に入った分を数回噛んでいるうちに気持ちが悪くなってきました。
そこで、カリフラワーを食べるのを諦めて、お粥を食べようとしました。
大きめのスプーンがついていたので、それでお粥を救って食べようとしましたが、これまたスプーンが口に入りません。口先だけを付けて食べてみましたが、口端からダラダラと零れ落ちてしまい、何度か挑戦したところで諦めました。
当然、主菜は無理と判断して口も付けなかったので、主菜が何だったのか覚えていないのかもしれません。
あとは、味噌汁と牛乳です。
味噌汁は茄子の味噌汁だったと思います。茄子も挑戦してみましたが、口に入れられたのはほんの僅かだけ。具材は諦めて汁だけ飲みました。
最後に、牛乳は紙パックでストローがついていたので、ストローを刺して飲みました。
手術後、初めての朝食はこれで終わりました。

ICUにいる間、食事は朝・昼・夕ときっちり出されましたが、食べられたのは牛乳とヨーグルトとプリンと味噌汁のみでした。
各食後に薬を飲むのですが、朝が7錠・昼が2錠・夜が3錠だったと思います。いつもなら10粒くらい1回で飲んでしまうのに、2粒ずつしか飲めませんでした。

朝食後、30分程は体を起こしていましたが、その後はベッドを倒しました。
ベッドのリクライニング作業は全て看護師さんがやってくれます。というか、自分ではやらせて貰えませんでした。その理由は後でわかりました。

暫くすると先生が回診に来て、この時に足のギブスは外して貰えました。
先生は3人いましたが、裸眼視力が両目とも0.04の私には、誰が誰だかわかりませんでした。主治医の先生が誰だかわかったのは、ICUを出て眼鏡をかけられるようになってからです。声で覚えていました。
先生は「一緒に、頑張りましょう」と言いましたが、後に見た医療ドラマでも同じことを言っていたので、本当に言うんだな…と、おかしくなったのを覚えています。

回診が終わって暫くすると、術後初めての頭痛が始まりました。
最初は少しズキンズキンと痛み出したな…と思っていたのですが、5分もしないうちに痛みは倍増。それどころか顔面も痛み出し、顔を抑えた手を離せなくなりました。
すぐにナースコールを押すと、看護師さんは点滴の鎮痛剤を用意してくれました。
ただひたすら痛みに耐えていましたが、いつの間にか寝てしまい、次に起こされたのは昼食の時でした。
看護師さんも言っていましたが、くも膜下出血になった殆どの人が激しい頭痛を訴えるそうなので、痛みについての説明は、別途したいと思います。

いつだったかよく覚えていないのですが、看護師さんが三角柱型のクッションを持ってきてくれました。何の為に使うかというと、背中に挟む為です。
同じ態勢でいると体が痛くなるのですが、ICUにいる間、自分では寝返りも打てませんでした。
いざ横を向こうとしても、これが大変困難な作業なのです。ベッドの柵に両手でつかまり、グイッと力を籠め、ベッドと背中に隙間を作ったところに看護師さんが三角柱型のクッションを挟んでくれます。自分ではこの作業が出来ないので、反対側に向きたい時もナースコールで看護師さんを呼びます。
こんな状態が1週間程続きます。

3時になると母が面会に来ました。
この時の母は何も言いませんでしたが、内心では「もう、ダメかもしれない…」と思ったそうです。
左側頭部は腫れ上がり、顔が歪む程酷かったと後に語っていました。
私は、個室に移るまで鏡を見なかったので、その時の自分の顔がどんなだったかは知りませんが、顔が常に引っ張られているような感じがしていたので、顔が引きつっているんじゃないかとは思っていました。しかし、母に訊くと「大丈夫」と答えたので、気のせいなのかと思っていました。
後で「どうして、嘘をついたのか?」と尋ねたら、「本人が一番大変な時に、顔が歪んでるなんて言えない」と答えました。本当に元に戻るのかと思う程酷かったそうです。
それに加え、私の身体からは大量の管が出ていて、その管は左側に置いてある沢山の機器に繋がれていたと言っていました。

body-woman-1.png自分では見えないので想像しかできませんが、確かに、両太腿の付け根と左肘の内側と右手首には点滴用の針が刺してあり、大腿のものは色分けがされていて、どの色にどの薬を流し込むかが決まっていたようでした。かなり深くまで刺さっていて、抜く時に結構痛かったのを覚えています。右手首の針は、入院時のMRI検査の時に入れられたものですが、病室で使っているのを見たことがないので、検査時に使用していたのかもしれません。
あとは頭です。母が言うには、髄液を出す為にカテーテルが入れられていて、絶えずピンク色の液体が外に吸い出されていたそうです。リクライニングを自分でさせて貰えないのは、この為でした。頭の位置を変える度、看護師さんが何か調整していたらしいです。先生は、脳槽ドレーンと言っていました。



脳槽ドレーンってこんな感じ?
ventricular-drainage.png画像はフリー素材から探してきました。脳槽ドレーンと一緒に脳室ドレナージというのも出てきたのですが、自分ではその機材を見ていないので、これが正しい画像なのかはわかりません。しかし、どちらで検索しても似たような画像が出て来るので、こんな感じかな?という意味で載せておきます。


こんな状態で約1週間過ごすことになりました。
部屋に時計がなかったので所望したところ、長針・短針・秒針のある丸い時計を足元の所に置いてくれました。たぶん、点滴棒をセットする場所につけてくれたので、寝たまま見ることが出来たのですが、何せ視力が0.04。長針も短針もわからず、わずかに黒い線がある程度にしか認識できなかったので、おおよその時間しかわかりませんでした。
でも、時計があるっていいです。1日のどのくらいの時間かっていうのがわかりますから…。

ICUにいる間、母は毎日面会に来ました。
毎日、面会に来るって凄く大変です。
3日目辺りに、私は「毎日来なくていいよ。少し寂しい気はするけど…」と母に言いました。それでも母は毎日面会に来ました。「少し寂しい気はする…」と言ったのが不味かったかな…と思ったのですが、理由は別にありました。
先生は、私には前向きなことしか言いませんでしたが、母には「2週間は何があってもおかしくない。順調に見えても突然死んでしまうこともある」と説明していたそうです。
実際に、順調に回復していたのに、突然死んでしまった例があったのだそうです。
そんな状況だとは全く知らない私は、来なくていいと言いつつも、毎日の面会を楽しみにしていました。


人気ブログランキングに参加しています。

脳卒中・脳梗塞ランキング

にほんブログ村ランキングに参加しています。
にほんブログ村 病気ブログ くも膜下出血へ
にほんブログ村

共通テーマ:健康
術後経過 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。