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SCUに移動してから変わったこと [術後経過]

ICUにいる間は、検査以外でベッドから降りることはありませんでしたが、SCUに移ってからは検査以外でもベッドから降りる用事が出来ました。
それは、トイレです。
toilet_kurumaisu.png今までは、尿道カテーテルが入れられていたので、尿は勝手に排出されていましたが、これからはそうは行きません。尿意を催したら、トイレに行かなければならないのです。しかも、この病室にはトイレがないので、外のトイレに行かなければなりません。
手術以来、まだベッドから降りたことがない私は、かなりの不安を抱えていました。
果たして、行けるのか…。
その時は、面会時間の間にやって来ました。
この日は母と弟が面会に来ていたのですが、その面会の途中でトイレに行きたくなりました。

看護師さんを呼んで、その旨を伝えると、看護師さんは車椅子を持ってきてくれました。
いざ、車椅子に移動です。
しかし、ベッドに捕まって立ち上がった私の足は、まるで生まれたての小鹿のようにブルブルと震えていました。用意された靴を履こうにも、足が震えて上手く履けません。
それを見ていた母と弟が爆笑していました。
あまりの震えっぷりに、私も可笑しくなってなってしまい、笑い出したら更に履けません。とりあえず、車椅子に座ってから靴を履くことにしました。
座ったまま前屈姿勢をとる形になりますが、これが結構辛いんです。ギブスとか長い間着けていると腕や足が動かなくなるのと同じで、殆ど寝ている状態でいると前屈姿勢はなかなかにキツイです。
何とか靴を履いてトイレまで連れて行って貰いました。
すると、看護師さんは「ちょっと、お待ち下さい」と言って、何やら便器と便座の間に挟みました。
それは、プラスチック製の丁度便器に収まる計量カップのようなものでした。
尿量を測った後は、便器に尿を流して水を流します。
これを、トイレに行く度に行います。
患者側の私としては、ちょっと嫌な作業だな…と思いましたが、毎回やるということは必要だからなので、仕方ないですね。

SCUに来て、2~3日後のことだったと思います。先生から洗髪の許可が出たということで、看護師さんが頭を洗ってくれることになりました。
自分では見ていないので、傷口がどうなっているのかはわかりませんでしたが、不安より喜びが勝りました。1週間以上頭を洗っていないので、髪の毛は既にねっとりとしています。このねっとり感からそろそろ脱したいと思っていたところでした。
hairwash-patient-lying-bed-nurce.pngどうやって洗うんだろう…と思っていたのですが、何やら水遊びでもするのか…というような道具を一式持って来ました。手押しで空気を送り込むポンプで何かを膨らまし始め、出来上がった物をベッドに置きました。
何が出来上がったかというと、子供用プールの小っちゃい版。頭が入るくらいの大きさの物で、排水口があり、汚れた水はその排水口からタンクに移すという代物です。
何と、便利なものが…。後の掃除のことを考えると無茶苦茶面倒そうですが、さっぱりしたい私には願ってもない代物です。
私は、ベッドに横になったまま、頭を洗って貰いました。
その気持ち良さったらありません。このまま寝ちゃいそう…て感じでした。
洗った後は、ドライヤーでしっかり乾かして貰い、久々のサラサラヘアです。看護師さんも「凄いサラサラ」って言ってくれました。
痛みとの戦いの中で、嬉しいひと時でした。
shampoo.pngその後は、この病室にいる間に一度洗髪して貰いました。その時には、起き上がるのもだいぶ楽になっていたので、ベッドではなく、トイレの横にある洗面台で下を向いて洗って貰いました。
この姿勢でいると、結構辛くて「早く終われ、早く終われ」と念じていました。
最初の洗髪とは打って変わって、気持ち良さは全く感じられませんでした。
頭が圧迫されるようで、呼吸も苦しくなって、もう一度、この状態で洗うと言われたら断っていたかもしれません。
それ程、苦痛な時間でした。
この下を見ると辛いという現象は、時間が経つにつれ程度は軽減してきたものの、退院する少し前までずっと続いていました。


以前にも書きましたが、SCUに移ってからは食事が選べるようになりました。
朝・昼・夕共にAとBのどちらかから選べます。
朝に翌日の3食をそれぞれどちらにするか選んだ紙を提出すると、次の日は希望通りの食事が出て来ます。土日にはその紙が配られないので、日月は選択できませんでした。
好きな物を選択出来るこの制度のせいか、ICUではあれだけ食べられなかった食事が、結構早い段階で半分まで食べられるようになりました。
口を開けると激痛が走るのと、顎を動かしていると、どうしても気持ち悪くなってしまうので、半分食べるのがやっとでしたが、液体ばかりだった頃から比べると凄い進歩だと思います。


あと、検査への移動手段がベッドから車椅子に変わりました。
bed-kurumaisu.png
頭痛で起き上がれない時は、以前のようにベッドで移動しましたが、殆どが車椅子での移動に変わりました。検査と言っても、CTとMRIですけどね。



それ以外のものは病室で行いました。病室で行ったのは以下の通りです。

patient-use-multiple-infusion-pump-syringe-pump.png点滴の針は常に付いていましたが、ポンプの本数が減りました。確か、2個だったような気がしますが、よく覚えていません。
でも、輸液の種類が減ったようです。






medical_shindenzu_kensa.pngmedical_saturation_monitor.png心電図とパルスオキシメーターは、検査や移動する時以外はずっと付けていました。







nurse-measuring.pngthermometer-girl.png血圧測定と検温は、1日に2~3度、測りに来ていたと思います。
ICUにいた間は、心電図もパルスオキシメーターも血圧も常に測定されていたので、検温のみ測りに来ていましたが、SCUでは血圧と検温は一緒に測りに来ていました。


blood-draw.pngX-ray-systems-movement-type.png採血・レントゲンは、時々測りに来ていました。
採血は、この病室にいる間は1回だけだったような気がします。
胸部レントゲンは、放射線技師の方が来るんでしょうか。この病室にいる間に2回は撮影に来てたと思います。


genital-cleaning.pngdiaper-changing.pngお風呂にはまだ入れなかったので、1日1回体を拭いて着替えていました。
最初のうちは、寝たままで看護師さんが体を拭いてくれていました。その際に、陰部の洗浄をして、おむつを替えてくれます。いつも、2人で来ていました。

途中からは自分で拭けるようになったので、タオルと着替えだけ頼んでおいて、あとは自分で済ませるようになりました。
トイレは計量もあるので、相変わらず連れて行って貰っていましたが、この辺りから、頭痛以外ではあまり手のかからない患者になっていったと思います。

頭痛との戦いは相変わらずでしたが、SCUに移動した8月27日から8月31日までには、出来ることが少しずつ増えていきました。


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天敵、現る! [痛み]

SCUに来て、初めての就寝時間になりました。
頭痛は相変わらず、薬が切れる頃には酷くなります。SCUに移ってからというもの、頭に響く音に悩まされた1日でしたが、皆が寝静まると共に静かになり、漸くリラックスできるようになりました。うとうとし始めた時、隣のおばあちゃんが声を上げ始めました。
理由は、昼間のうちにわかっていました。
隣のおばあちゃんは痰の吸引を受けていて、苦しくなってくると声を上げ始めるのです。
最初のうちは、苦しいんだからしょうがないと思っていたのですが、おばあちゃんの声はどんどん大きくなっていきます。お年寄りにこんな大声が出せるのかと思うくらいです。そして、それは看護師さんが来るまで続きます。「ナースコールを押せばいいのに…」と思いましたが、もしかしたら認知症で押せないのかもしれません。とにかく、看護師さんが来るまで大声で叫び続けるのです。
私は、その叫び声に、昼夜を問わず悩まされることになりました。
おばあちゃんが大声を上げる度に耳を塞いで収まるのを待っていましたが、頭がガンガンと痛みます。耳を塞いでも聞こえてくるその声が拷問のようで、「あの時、救急車を呼ばなければ、こんな思いをしなくて済んだかも…」と思いました。あの時、救急車を呼ばなければ…あの時死んでいれば…そう考えるようになってしまったのです。
この時、熱は37度~38度を行ったり来たりしていました。そして、激しい頭痛と顔面痛の中、隣で大声を出され、苦痛で苦痛で涙が溢れる程でした。
ICUにいる時も隣の方が叫んでいましたが、あの時は遠くで声がしているという感じだったので「大変そうな人がいる」としか思わなかったのですが、今回の場合は耳元で叫ばれているようで、耐えがたい苦痛となったのです。

熱と痛みで苦しんでいるところに、救世主となったのが氷枕でした。
看護師さんの提案で氷枕を使ったところ、常にあった痛みが幾分和らいだのです。
左側頭部もまだ腫れていたし、熱もあったので、冷やしたのが功を奏したようでした。
相変わらず、おばあちゃんの声は拷問のようでしたが、少し逃げ道が出来たら冷静に考えられるようになりました。浮き沈みはありましたが、救急車を呼んだことを後悔するようなことはなくなりました。
あとは、どう痛みをやり過ごすか。とにかく痛みを抑えるには、鎮痛剤(飲み薬と点滴)を使用、あとは冷やすしかなかったので、看護師さんが頼りでした。
以前から、婦人科の先生や薬剤師さんに「痛み出したら、すぐに薬を飲むこと。痛みを我慢してから飲んでも効き目が薄いからね」と言われていたので、入院中も痛み始めたらすぐに看護師さんを呼んでいました。
ICUにいた時、看護師さんはすぐに対応してくれたのですが、SCUでは「ちょっと、待ってて下さい」と言われることが多くなりました。
看護師さんは忙しいので仕方ありません。言われた通り、そのまま待ちます。しかし、15分待つと10段階中3だった痛みが6に跳ね上がります。30分待つと、もう痛みを耐える以外のことは考えられなくなりました。ただひたすらに耐えて耐えて、時計を見た時に1時間経ってた時には「忘れ去られたんだ」と確信しました。
待たされた時には、鎮痛剤が効いてくるまでに2時間程かかります。看護師さんは1時間もあれば効いてくる筈だと言っていましたが、それは痛みが3の時に鎮痛剤を使用していればの話です。痛みが6になってしまってからでは、2時間苦しむはめになるのです。
飲み薬と点滴は交互に使っていたので、点滴の時はもう少し早く効いてくれます。

こうして、SCUに入ってからも、激しい痛みとの戦いでした。
隣のおばあちゃんの姿は最後まで見ることはできませんでした。
おばあちゃんの声には随分と苦しめられましたが、元気になって退院してくれているといいなぁ…と思います。


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SCUへの移動 8/27 [術後経過]

8/27(火)の午前11時頃、ICUからSCUへと移動することになりました。
時間になると先生がやってきて、脳槽ドレーンの確認を始めました。
私は全く見ることができませんでしたが、先生曰く「綺麗になった」そうです。後に母に尋ねたところ、最初はピンク色だった液体が徐々に茶色に変色していったと言っていました。
先生は、「大丈夫そうだから、外します」と言って、ドレーンを外しにかかりました。私はちょっと身構えましたが、特に痛みはありませんでした。
ドレーンを外した後は、当然、穴が開きます。先生は、その穴を残しておいた頭皮で蓋をすると、ガーゼで覆ってテープで止めました。
私が塞いだ穴の部分を確認出来たのは個室に入ってからですが、そのお話は後程したいと思います。
ドレーンが外されると、今度は看護師さんが尿道カテーテルを外しました。
まだ、ベッドから降りたこともないのに大丈夫かと不安になりましたが、膀胱も長く使わないと良くないということで外すことになりました。

脳槽ドレーンと尿道カテーテルが外し終わると、先生とはここでお別れ。
いよいよ移動です。
ICUとSCUのベッドは違うらしく、看護師さんが別のベッドを持って来ました。
例の如く、横になったまま、数人の看護師さんの手で載せられましたが、驚いたのはICUで使っていたベッドよりも、ずっと狭かったことです。こんなに狭くて身動き取れるのかと心配になりましたが、要は「慣れ」で何とかなるものです。徐々に回復もしていきますしね。
乗せ換えが終わると、そのまま運ばれる訳ですが、横になっていると何処をどう通ったのかはさっぱりわかりません。エレベーターに乗ったということだけはわかりましたが…。

運ばれた部屋は、カーテンで仕切るタイプの6人部屋で、看護師さんが常駐していました。
私は奥の窓際で、看護師さんがいるスペースの隣に配置されました。
この部屋に入ってまず感じたのが、音の煩さです。
ICUにいた時は、聞こえるのは換気の音と機材の音のみで静寂という感じでしたが、SCUは何というか、いろんな音が頭に響いて、それが酷く不快に感じました。何故、こんなに音が頭に響くのか。思わず手で耳を覆ったくらいでした。
そうこうしているうちに昼食の時間になりました。
お粥から普通の食事に変わった初めてのメニューはカレーでした。
カレーなら食べられるだろうと思っていたのですが、一口食べた途端に気持ち悪くなってしまい、その日の昼食は食べられませんでした。「いきなりカレーは、キツイか…」と言いながら看護師さんが下げてくれましたが、その後も暫く気持ち悪さは続きました。

T病院では、午後3時~7時までが面会時間で、3時になると面会者がぞろぞろと病室に入って来ます。
すると、喧噪が一気に増して、頭に響く音が倍増。頭痛もしてきて、更に頭を抱えるようになりました。
暫くすると、母と弟が面会にやってきました。
私は音が響いて頭がズキズキすることや、個室を希望したのに何故か6人部屋に運ばれたことを言いましたが、後で確認したところ、個室に移動出来るのは1週間後で、それまではこの病室からは出られないということでした。
この時、術後1週間目です。
私は知らされていませんでしたが、術後2週間は「何があってもおかしくない」ということで、看護師さんが常駐するこの病室からは出られないということだったようです。

SCUに来て、変わったことがもう一つ。喘息です。
ICUにいる間は吸入器を使っていなかったのですが、咳は殆ど出ませんでした。しかし、SCUに移った途端、咳が少しずつ出始めて、母と弟が面会に来た時には結構咳き込むようになっていました。まだ、発作という程ではなかった為、その日のうちに自宅へ吸入器を取りに行って貰い、喘息には吸入器で対応することになりました。
吸入器を使い始めると、咳は徐々に収まっていきました。

音が頭に響くという感覚は、2~3日で収まりました。おそらく慣れたんだと思います。でも、それだけICUが静かだったということですね。
この日の夕食は半分も食べられませんでしたが、お粥よりは食べやすかったと思います。
漸く初日が終わったと思いきや、その後、私は大変な騒音に悩まされることになるのです。


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