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天敵、現る! [痛み]

SCUに来て、初めての就寝時間になりました。
頭痛は相変わらず、薬が切れる頃には酷くなります。SCUに移ってからというもの、頭に響く音に悩まされた1日でしたが、皆が寝静まると共に静かになり、漸くリラックスできるようになりました。うとうとし始めた時、隣のおばあちゃんが声を上げ始めました。
理由は、昼間のうちにわかっていました。
隣のおばあちゃんは痰の吸引を受けていて、苦しくなってくると声を上げ始めるのです。
最初のうちは、苦しいんだからしょうがないと思っていたのですが、おばあちゃんの声はどんどん大きくなっていきます。お年寄りにこんな大声が出せるのかと思うくらいです。そして、それは看護師さんが来るまで続きます。「ナースコールを押せばいいのに…」と思いましたが、もしかしたら認知症で押せないのかもしれません。とにかく、看護師さんが来るまで大声で叫び続けるのです。
私は、その叫び声に、昼夜を問わず悩まされることになりました。
おばあちゃんが大声を上げる度に耳を塞いで収まるのを待っていましたが、頭がガンガンと痛みます。耳を塞いでも聞こえてくるその声が拷問のようで、「あの時、救急車を呼ばなければ、こんな思いをしなくて済んだかも…」と思いました。あの時、救急車を呼ばなければ…あの時死んでいれば…そう考えるようになってしまったのです。
この時、熱は37度~38度を行ったり来たりしていました。そして、激しい頭痛と顔面痛の中、隣で大声を出され、苦痛で苦痛で涙が溢れる程でした。
ICUにいる時も隣の方が叫んでいましたが、あの時は遠くで声がしているという感じだったので「大変そうな人がいる」としか思わなかったのですが、今回の場合は耳元で叫ばれているようで、耐えがたい苦痛となったのです。

熱と痛みで苦しんでいるところに、救世主となったのが氷枕でした。
看護師さんの提案で氷枕を使ったところ、常にあった痛みが幾分和らいだのです。
左側頭部もまだ腫れていたし、熱もあったので、冷やしたのが功を奏したようでした。
相変わらず、おばあちゃんの声は拷問のようでしたが、少し逃げ道が出来たら冷静に考えられるようになりました。浮き沈みはありましたが、救急車を呼んだことを後悔するようなことはなくなりました。
あとは、どう痛みをやり過ごすか。とにかく痛みを抑えるには、鎮痛剤(飲み薬と点滴)を使用、あとは冷やすしかなかったので、看護師さんが頼りでした。
以前から、婦人科の先生や薬剤師さんに「痛み出したら、すぐに薬を飲むこと。痛みを我慢してから飲んでも効き目が薄いからね」と言われていたので、入院中も痛み始めたらすぐに看護師さんを呼んでいました。
ICUにいた時、看護師さんはすぐに対応してくれたのですが、SCUでは「ちょっと、待ってて下さい」と言われることが多くなりました。
看護師さんは忙しいので仕方ありません。言われた通り、そのまま待ちます。しかし、15分待つと10段階中3だった痛みが6に跳ね上がります。30分待つと、もう痛みを耐える以外のことは考えられなくなりました。ただひたすらに耐えて耐えて、時計を見た時に1時間経ってた時には「忘れ去られたんだ」と確信しました。
待たされた時には、鎮痛剤が効いてくるまでに2時間程かかります。看護師さんは1時間もあれば効いてくる筈だと言っていましたが、それは痛みが3の時に鎮痛剤を使用していればの話です。痛みが6になってしまってからでは、2時間苦しむはめになるのです。
飲み薬と点滴は交互に使っていたので、点滴の時はもう少し早く効いてくれます。

こうして、SCUに入ってからも、激しい痛みとの戦いでした。
隣のおばあちゃんの姿は最後まで見ることはできませんでした。
おばあちゃんの声には随分と苦しめられましたが、元気になって退院してくれているといいなぁ…と思います。


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襲ってくる頭痛・顔面痛・目の奥の痛み [痛み]

くも膜下出血の患者の多くが訴えるという激しい頭痛。この頭痛には、私も長く苛まれました。
今回は、術後の『痛み』について書きたいと思います。

最初の頭痛を感じたのは、手術の翌日、8/21の朝、回診が終わって暫くした辺りでした。
最初は少しズキンズキンと痛み出したな…と思っていたのですが、5分もしないうちに痛みは倍増。それどころか顔面も痛み出し、顔を抑えた手を離せなくなりました。
すぐにナースコールで看護師さんを呼びましたが、看護師さんは「10段階で言うとどれくらいですか?」と聞いてくるのです。
その10段階という意味が、私には全く理解出来ませんでした。「10段階って何?10段階の10ってどれくらい?10がMAXというと、気を失うくらい?それとも死ぬくらい?」などと頭の中でグルグル巡り、意識があって、まだ耐えていられる状態なら3くらいだろうと「3」と答えました。
「あと、顔が…顔がめちゃくちゃ痛い」と訴えました。
その10段階というのは、「自分の中でMAXを10とすると今はどれくらいか」という意味だということは後で知りました。
看護師さんは、すぐに点滴の鎮痛剤を用意してくれましたが、痛みが治まるまでには1時間程かかりました。

鎮痛剤は、主に飲み薬と点滴を使用していました。
飲み薬は1日3回、食後に服用です。その合間合間で襲ってくる痛みには、点滴で対応していました。
鎮痛剤を使用すると、次に使用出来るまで時間をおかなければならず、使用出来ない時はただひたすら耐えるしかありませんでした。
痛みはどれくらいかという問いに、私はよく「3」と答えていましたが、今なら「7」と答えます。
今まで感じたことのある痛みの中で1番痛かったのは、子宮内膜症からくる腹痛です。
顔から汗が流れ落ち、のたうち回る程の痛みで、今まで感じた痛みの中で最高の痛みがこれでした。
しかし、この頭痛も耐え難い痛みであったことは間違いありません。
酷くなってくると、手で顔を覆ったまま、看護師さんの顔も見ることが出来ませんでした。


頭痛の他に顔面にもかなりの痛みがあったのですが、その範囲をピンク色で示しました。
zukai-2.jpg
顔の左半分から右目の辺りまでが引きつれるようで、痛み出したらいつも顔を両手で覆ってました。それで痛みが和らぐ訳ではないのですが、とにかく手が離せなくなる程痛いのです。実際、左側は腫れていて、目も殆ど開かない状態でした。
同時に両目の奥も酷く痛むので、毎回「もう、どうしたらいいかわからない」という状態に陥りました。

頭痛は、いつも感じている片頭痛とは違い、何故か、右前頭部・右後頭部・左前頭部・左後頭部に、それぞれ違う痛みを感じていて、頭が4つあるようでした。
頭が4つっておかしいですけど、それぞれ4か所で拍子の違う痛みが襲って来るので、頭痛の間は常にそう感じていました。
そして、この頭が4つあるという光景は夢にまで出て来ました。
夢では風船のような頭が4つ並んで浮かんでいて、それぞれの頭でそれぞれの痛みを感じていました。
夢の中で痛みを感じたのは、この時が初めてでした。
この感覚はICUを出た頃にはなくなりましたが、頭痛・顔面痛・目の奥の痛みはSCUに移ってからも続きます。痛み出すと、それらがいっぺんに襲ってくるので、もう「痛い」としか言いようがありません。
私はあまり記憶に残っていないのですが、面会に来た母にいつも「痛い、痛い」とつぶやいていたそうです。


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