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術後経過 ICUにて 2 8/21~8/26 [術後経過]

今回は、前回の「術後経過ICUにて1」で書き切れなかったことを書いておきたいと思います。

ICUにいる間、同じICU内にいる患者さんとの接触は全くありませんでした。
移動の際はカーテンが引かれ、他の患者さんは見えないようになっていました。
手術後、私は最初に入っていた個室の隣の個室に移動したのですが、初日に入っていた個室には別の人が入っていました。男の人でした。見えないのに何でわかったかというと、「痛いよ、痛いよ」という大きな叫び声が、隣の私の部屋まで聞こえてきたからです。
その叫び声は、毎日、毎日、聞こえてきました。私より、大変なことになっている人がいると思っていましたが、ふと気づいたらその声は聞こえなくなっていました。
その男性がどうなったのかは知りません。ただ、後で母に確認すると「あんたが入った翌日に入ってきて、あんたより先にいなくなったよ」と言いました。
男性がどうなったのかは知る由もありませんが、回復して出て行ったと思いたいです。

そして、その男性とは対照的に、声もろくに出なかった私が1週間何をしていたかというと、食事をする・薬を飲む・寝る・一生懸命寝返りを打つ努力をするの4点でした。
とにかく、それくらい自分では何も出来ないです。自分では何も出来ませんが、検査というのは否応なくやってきます。
簡単なところでは、体温・血圧・後遺症の検査。
これは看護師さんが1日3回くらい行いに来ます。
次に胸部レントゲン。
これは撮りに行くのではなく、移動式の撮影機材で撮りに来ます。それが先生なのか看護師さんなのかはわかりません。訊かなかったので…。
ベッドと背中の間に鉄板?とにかく硬い板のようなものを挟んで、胸に映写機を載せて、息を吸って、止めて、パシャッ。これで終わりです。ICUにいる間は、毎日のように撮りに来ていました。
それから、CTとMRI。
これは交互にやってきます。CTはすぐに終わるのですが、MRIの時には時間がかかります。造影剤を入れたり、カテーテルを入れたりする為です。
それらがいつだったかというのは、実のところよく覚えていません。ただ、「今日はCTの検査ですよ」とか「今日はMRIの検査があります」と言われ、ベッドごと移動するので、何度か検査があったということは覚えています。
そして、MRI検査の後は右足をギブスで固定されます。取って貰えるのは翌朝なので、寝返りを打つのが更に困難になります。体が痛くなって、何とかこの痛みを解消しようともがきます。看護師さんを呼べばいいと思うかもしれませんが、看護師さんは忙しいのです。数分前に呼んだばかりなのに、寝返りごときでまた呼ぶことなど出来ません。何とか態勢を変えようと必死にもがいたのを覚えています。
この「動けない」という状態が、地味にツライです。

忘れていたのが、着圧靴下。術後、ギブスを取った後、膝まである着圧靴下をはかされました。指先だけが出るタイプのもので、肌色のストッキングのような生地だったと思います。
毎日、着替えの時に看護師さんが体を拭いてくれるのですが、その時以外は履かされていました。
殆ど寝ている状態でも、足がむくむ場合があるから?なのでしょうかね。
その着替えの時に、看護師さんには、よく腰をさすって貰ったのも覚えています。

body-woman-2.png先生には、手術の時に腰にも管を入れたとだけ聞いたのですが、その腰には3か所切開した後がありました。2か所は小さな穴で傷はそのままでしたが、1か所は3針程縫ってあって、ぷっくり盛り上がっていました。そこにシップ大の大きさのテープがビッチリと貼られていたので、かぶれて痒くなってしまったのです。でも、勝手には取れないからと、よく看護師さんが腰をさすってくれました。
「痒い所をかけない」という状況も、結構キツイんですよ。


あと、私は最初からおむつをしていたと自分では思っていたのですが、ICUにいた間、T字帯をしていたことが判明しました。
この間、箪笥の整理をしていたら出てきたんです。母に訊いたところ、看護師さんに持って帰るように言われたそうです。
全然気付かなかった…。動けない人間の世話をするのは、やっぱり、アレが楽なんですね…。

ICUにいた最終日、8/26には理学療法士の先生が私の状態を確認しに来ました。
先生は、「体を起こして、ベッドから足を下ろして座る」という動作を私にさせました。
足を床に着ける訳ではありません。ベッドから降ろし、ブラーンとさせるだけです。
それを見た先生は「結構、しっかりしてる。これなら、回復も早いかも…」と言いました。
私自身も、結構しゃっきり座れたと思いましたし、久々に座った状態がとても気持ちいいと感じました。
そして、この日、「明日、SCUという脳外科専門の病室に移動になります」と言われました。


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術後経過 ICUにて 1 8/21~8/26 [術後経過]

前回、ICUについてお話しましたが、今回はそのICUにいた8/20~8/26までの術後経過を書きたいと思います。

初めて目覚めた時のことは、細かくは覚えていないのですが、とにかく体が動かないと思ったのをよく覚えています。あと、顔面に違和感を感じたこと。その時は、痛みというより違和感でした。
体を動かせないながらも、回りを見回して状況を確認していると、看護師さんがすぐにやってきて、後遺症の確認を始めました。
両腕を上げて両掌を握ったり開いたり出来るかの確認・目を閉じたままで片手が下がらないかの確認・看護師さんの手をぎゅっと握れるかの確認・足があげられるかの確認等です。
幸いにも、手足の後遺症はありませんでした。
あとは体温や血圧を測りましたが、こちらも問題はなかったようで、「もうすぐ朝食です」と言って部屋を出て行きました。

暫くすると、本当に朝食が運ばれてきました。
看護師さんがベッドを起こしてくれたのですが、ベッドから背中を離すのが意外と大変で、看護師さんに手伝って貰いました。
この時、右足首から太腿まではギブスのような物(MRIの後に使ったのと同じ物)で固定されていたので、余計に動き難かったんだと思います。
この時の朝食の主菜は覚えていないのですが、副菜がカリフラワーでお粥と味噌汁と牛乳だったことははっきりと覚えています。
何故、主菜ではなく副菜を覚えているかというと、一番最初に口にしたのがカリフラワーだったからです。そして、愕然としました。
口が開かない…。
無理に開けようとすると激痛が走りました。
多少の痛みは我慢して口を開けてみましたが、指先1本分くらい開けるのがやっと。カリフラワーは口に入りませんでした。何とか食べようと前歯でかじってみましたが、本当にちょびっとだけ。しかも、口に入った分を数回噛んでいるうちに気持ちが悪くなってきました。
そこで、カリフラワーを食べるのを諦めて、お粥を食べようとしました。
大きめのスプーンがついていたので、それでお粥を救って食べようとしましたが、これまたスプーンが口に入りません。口先だけを付けて食べてみましたが、口端からダラダラと零れ落ちてしまい、何度か挑戦したところで諦めました。
当然、主菜は無理と判断して口も付けなかったので、主菜が何だったのか覚えていないのかもしれません。
あとは、味噌汁と牛乳です。
味噌汁は茄子の味噌汁だったと思います。茄子も挑戦してみましたが、口に入れられたのはほんの僅かだけ。具材は諦めて汁だけ飲みました。
最後に、牛乳は紙パックでストローがついていたので、ストローを刺して飲みました。
手術後、初めての朝食はこれで終わりました。

ICUにいる間、食事は朝・昼・夕ときっちり出されましたが、食べられたのは牛乳とヨーグルトとプリンと味噌汁のみでした。
各食後に薬を飲むのですが、朝が7錠・昼が2錠・夜が3錠だったと思います。いつもなら10粒くらい1回で飲んでしまうのに、2粒ずつしか飲めませんでした。

朝食後、30分程は体を起こしていましたが、その後はベッドを倒しました。
ベッドのリクライニング作業は全て看護師さんがやってくれます。というか、自分ではやらせて貰えませんでした。その理由は後でわかりました。

暫くすると先生が回診に来て、この時に足のギブスは外して貰えました。
先生は3人いましたが、裸眼視力が両目とも0.04の私には、誰が誰だかわかりませんでした。主治医の先生が誰だかわかったのは、ICUを出て眼鏡をかけられるようになってからです。声で覚えていました。
先生は「一緒に、頑張りましょう」と言いましたが、後に見た医療ドラマでも同じことを言っていたので、本当に言うんだな…と、おかしくなったのを覚えています。

回診が終わって暫くすると、術後初めての頭痛が始まりました。
最初は少しズキンズキンと痛み出したな…と思っていたのですが、5分もしないうちに痛みは倍増。それどころか顔面も痛み出し、顔を抑えた手を離せなくなりました。
すぐにナースコールを押すと、看護師さんは点滴の鎮痛剤を用意してくれました。
ただひたすら痛みに耐えていましたが、いつの間にか寝てしまい、次に起こされたのは昼食の時でした。
看護師さんも言っていましたが、くも膜下出血になった殆どの人が激しい頭痛を訴えるそうなので、痛みについての説明は、別途したいと思います。

いつだったかよく覚えていないのですが、看護師さんが三角柱型のクッションを持ってきてくれました。何の為に使うかというと、背中に挟む為です。
同じ態勢でいると体が痛くなるのですが、ICUにいる間、自分では寝返りも打てませんでした。
いざ横を向こうとしても、これが大変困難な作業なのです。ベッドの柵に両手でつかまり、グイッと力を籠め、ベッドと背中に隙間を作ったところに看護師さんが三角柱型のクッションを挟んでくれます。自分ではこの作業が出来ないので、反対側に向きたい時もナースコールで看護師さんを呼びます。
こんな状態が1週間程続きます。

3時になると母が面会に来ました。
この時の母は何も言いませんでしたが、内心では「もう、ダメかもしれない…」と思ったそうです。
左側頭部は腫れ上がり、顔が歪む程酷かったと後に語っていました。
私は、個室に移るまで鏡を見なかったので、その時の自分の顔がどんなだったかは知りませんが、顔が常に引っ張られているような感じがしていたので、顔が引きつっているんじゃないかとは思っていました。しかし、母に訊くと「大丈夫」と答えたので、気のせいなのかと思っていました。
後で「どうして、嘘をついたのか?」と尋ねたら、「本人が一番大変な時に、顔が歪んでるなんて言えない」と答えました。本当に元に戻るのかと思う程酷かったそうです。
それに加え、私の身体からは大量の管が出ていて、その管は左側に置いてある沢山の機器に繋がれていたと言っていました。

body-woman-1.png自分では見えないので想像しかできませんが、確かに、両太腿の付け根と左肘の内側と右手首には点滴用の針が刺してあり、大腿のものは色分けがされていて、どの色にどの薬を流し込むかが決まっていたようでした。かなり深くまで刺さっていて、抜く時に結構痛かったのを覚えています。右手首の針は、入院時のMRI検査の時に入れられたものですが、病室で使っているのを見たことがないので、検査時に使用していたのかもしれません。
あとは頭です。母が言うには、髄液を出す為にカテーテルが入れられていて、絶えずピンク色の液体が外に吸い出されていたそうです。リクライニングを自分でさせて貰えないのは、この為でした。頭の位置を変える度、看護師さんが何か調整していたらしいです。先生は、脳槽ドレーンと言っていました。



脳槽ドレーンってこんな感じ?
ventricular-drainage.png画像はフリー素材から探してきました。脳槽ドレーンと一緒に脳室ドレナージというのも出てきたのですが、自分ではその機材を見ていないので、これが正しい画像なのかはわかりません。しかし、どちらで検索しても似たような画像が出て来るので、こんな感じかな?という意味で載せておきます。


こんな状態で約1週間過ごすことになりました。
部屋に時計がなかったので所望したところ、長針・短針・秒針のある丸い時計を足元の所に置いてくれました。たぶん、点滴棒をセットする場所につけてくれたので、寝たまま見ることが出来たのですが、何せ視力が0.04。長針も短針もわからず、わずかに黒い線がある程度にしか認識できなかったので、おおよその時間しかわかりませんでした。
でも、時計があるっていいです。1日のどのくらいの時間かっていうのがわかりますから…。

ICUにいる間、母は毎日面会に来ました。
毎日、面会に来るって凄く大変です。
3日目辺りに、私は「毎日来なくていいよ。少し寂しい気はするけど…」と母に言いました。それでも母は毎日面会に来ました。「少し寂しい気はする…」と言ったのが不味かったかな…と思ったのですが、理由は別にありました。
先生は、私には前向きなことしか言いませんでしたが、母には「2週間は何があってもおかしくない。順調に見えても突然死んでしまうこともある」と説明していたそうです。
実際に、順調に回復していたのに、突然死んでしまった例があったのだそうです。
そんな状況だとは全く知らない私は、来なくていいと言いつつも、毎日の面会を楽しみにしていました。


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最初に入った病室はICU [病室]

入院中、最初はICUという病棟にいて、後にSCUという病棟へ移りました。
ICUとはIntensive Care Unitの略で、日本語では集中治療室と言います。
調べればわかると思いますが、簡単に言えば、重篤な患者に対して24時間体制で高度な医療や看護を行うことを目的とした施設です。

今回は、私が入院していた病院のICUについて話したいと思います。
私がICUにいる間、母は毎日通っていたのですが、病室に辿り着くまでが大変だと言っていました。
まず、病棟の入り口でインターホンを押して、中に入れて貰います。次に、病室に入る前に看護師さんを呼び出し、手を洗って消毒してから漸く病室に入れて貰えます。
その時のドアの開閉は全て足でやると言っていました。踏むところがあって、そこを踏むとドアが開くようになっているそうです。

中は広い空間になっていて、中央に集められたデスクにはPCが何台も置いてあり、そこで看護師さんが作業をしていたと言っていました。かなりの人数がいたそうです。
壁際には、カーテンで仕切られたベッドが結構な数並んでいて、奥に個室が2部屋あり、私はその1室に入っていたそうです。
面会に来ると、開いていたカーテンが全て閉められ、他の患者さんは見えないようになっていたと言っていました。

個室は長方形で奥に長い形になっており、窓はありませんでした。入り口にはドアがなく、誰かが面会に来る時だけカーテンを引くという形になっていました。
普段、カーテンは開いたままなのですが、私の位置からは看護師さんの姿は見えなかったので、入り口の先がどうなっているかはわかりませんでした。そんなに広い空間があったことも、大勢の看護師さんがいたことも知りませんでした。
広さはそれ程広くはなく、ベッドが中央にあって、頭が奥側。私の左手側には機材が沢山置いてあり、面会は右手側からのみ。ベッドのリクライニングも勝手にやらないで欲しいとの指示があったそうです。
因みに、ベッドは広かったです。セミダブルくらいの広さがあったのではないかと思います。広い方が看護するのにやりやすい為?
その辺は定かではありませんが、SCUに移った時にベッドが狭くなってビックリしたのを覚えています。

個室は2部屋とも同じ作りになっていて、静かで空調の音だけが聞こえていました。
何で2部屋ともわかるかというと、8月20日にはその1室にいて、手術後の21日には隣の部屋に移動していたからです。
移動したことに私は全く気付かなかったのですが、後に母が教えてくれました。


次回は、手術後、私がどういう状態だったかと、ICUでどう過ごしていたかを話したいと思います。



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